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69件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2005-02-28 第162回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

傍ら、こちらの方は、アンカレジを置いておいたままこっちもふやす、あっちもふやすということになりますと、確かに、戦前と今では、この六十年間の間に国の数は決定的に三倍以上違っちゃっている割には、外務省の人数は絶対量が余りふえておりませんから、今五千四百人ぐらいだと思いますので、そういった意味では、昔の拓務省、そのまた前の外務省に比べましても、人口がふえ、国数がふえたのに対して、日本の国は一億二千万、イタリア

麻生太郎

1999-09-08 第145回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

この台湾拓殖株式会社監督者台湾総督府と日本政府拓務省ですから、拓務大臣により一九三九年、昭和十四年に帝国議会台湾拓殖株式会社業務概要説明資料として提出されているという事実もこの中に出ております。  外政審議室はいろいろと調査をされておりますが、台湾において慰安婦軍需必需品として日本政府共同作業を行ってきたとされている台湾拓殖株式会社についての調査を行いましたか。

本岡昭次

1999-07-01 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第8号

近代日本を形成し、その発展を支えた我が国の内閣及び省庁制度は、明治十八年の総理初め外務、内務、大蔵、陸海軍、司法、文部、農商務逓信、この十大臣九省のコンパクトな政治指導体制によってスタートしたわけでありますが、その後、大正年間におきましては逓信省から鉄道省分離新設農商務省の分割、昭和に入ってからは内務省から厚生省分離新設拓務省の新設等がございまして、大臣の数は十三人に拡大し、その分散型の傾向

八木俊道

1998-05-20 第142回国会 衆議院 外務委員会 第13号

このとき、調査対象機関になっている警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、その他旧内務省にしても、拓務省にしても、その他の機関からの資料というものがすべて調べられたとは言えないということなど、しっかりとした真相究明ということが行われた上での談話だったのかどうかということが、歴史認識のどのような見解を持っているにもかかわらず、さまざまな団体からこのような指摘がされているんですけれども、そのことについてはどのような

田中甲

1995-03-16 第132回国会 参議院 厚生委員会 第4号

拓務省が担当しておりまして、「満州に対する青年移民送出に関する件」というのを第一次近衛内閣閣議に提案して、十一月三十日に即日決定をされています。  厚生省にお伺いしますけれども、この援護法対象としている準軍属、満蒙開拓青少年義勇軍というのは、一九三七年十一月三十日の閣議決定で始まったことなんですね。

西山登紀子

1991-03-26 第120回国会 参議院 内閣委員会 第3号

これに対して、当時満蒙開拓団の全責任を負っていた拓務省の永井柳太郎国務大臣答弁は、「只今ノ津崎君ノ御意見ハ如何ニモ尤デアリマシテ、吾々モ出来ルダケ其方針努力シタイ」「関係各省間ニ特別ニ相談」をして、「其方針確立ニ努力シテ居ル次第」であると、このように答弁しているんです。だから、この土地問題、要するに現地の人を追い払って、そこへ日本移民が入ってそこで終戦を迎えた。

吉川春子

1979-04-24 第87回国会 参議院 社会労働委員会 第5号

それから、開拓団義勇隊、これは先ほど御議論がありまして、新しい資料等ももしお持ちでありましたらこれは私どももぜひ見せていただきたいと思っておりますが、もともとの拓務省というお役所自体が、いまは変身変身を重ねて後裔をたどれば農林省になるが、その開拓団義勇隊の方々についてのお世話を考えるとすれば、これはまたその恩給絡みになるのか、援護の方で考えるべきことなのか、その辺の整とんもありましょう。

橋本龍太郎

1978-04-06 第84回国会 参議院 外務委員会 第11号

たとえば外務省昭和六年は三千六百十三名、そうして三十二年は千八百三十四名、こういうふうに減っておるわけでありますが、それは拓務省が昭和六年は含まれておるというが、少なくとも技術協力経済協力文化協力、そういったことを考え合わせれば、いまの外務省仕事よりも昭和六年の時点ではもっと仕事量というものも少なかったであろう、こういうふうに思うわけであります。

愛野興一郎

1977-04-08 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号

十四年の閣議決定が出た背景というものは、当時の石黒なんとかという人とかいろんな先覚者内閣建白書を出し、それを拓務省がいろいろ検討し、そして昭和十二年十一月三十日に「満州に於ける青少年移民送出に関する件」これは川本議員が読み上げましたから言いませんけれども、この閣議決定をしておる。その閣議決定を裏づけるものとして、昭和十二年九月には三百十九名の第一次先遣隊が出発をしておる。

田口一男

1977-04-08 第80回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号

しかし今日、昭和十二年十一月三十日の閣議決定があり、それに基づいて拓務省が省議をもってこういう要綱決定しておる。そして予算も国の方でつけておる。こういうことが明らかになっておる以上、この時点まではさかのぼってしかるべきではないかと私は思っておるのです。その点についてもう一度お考えをお聞きしたい。

川本敏美

1971-05-12 第65回国会 衆議院 内閣委員会 第23号

当時の近衛総理大臣広田弘毅外務大臣、そうして大谷拓務大臣、ちゃんと議定書が結んであるどれもはっきりと議事録に、大出先生がやっておられる。それをあなたたちは何がゆえにこんな片手落ちなことをやられるのか。まことに私は、私は別に拓植の職員でもなければ満鉄の職員でもなかったのだから関係ありませんけれども、国民としてこういうことは許すことはできない。

鬼木勝利

1970-07-02 第63回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第7号

秋田自治大臣は私の尊敬する大臣でありますし、ことにお父さんが衆議院議長として、あるいはまた厚生大臣として、拓務大臣として、われわれの大先輩でもあります。一自治大臣という御遠慮をなさらないで、日本政治国民の不信から取り戻すという大きな抱負とりっぱな政治家としての見識から、思い切ってこの問題に積極的に取り組まれるべきではないか。機が熟さないとか論議があるというのは全くの口実ではないか。

岡沢完治

1969-06-24 第61回国会 衆議院 内閣委員会 第35号

そのときに農林省拓務省の減反ということをとめたのはその当時の軍部なんですね。私はそれをまねしろなんとは言いません。ところがいまは何ですか、米は上げない。私は、皮肉なことばをもってすれば、自衛隊員を集めるために農村を貧乏にしたんだ、こうさえ言いたくなるじゃありませんか。金持ちの……(「貧乏じゃない」と呼ぶ者あり)農村は貧乏じゃないというけれども、金持ち農村から自衛隊には来ません。大体山の中です。

華山親義

1967-07-21 第55回国会 参議院 内閣委員会 第31号

大体私の聞いた範囲では、元の拓務省の系統の方とか、拓務省というとことばが悪いけれども、拓務省ね。それから外地というか、引き揚げてこられた方とか、そういう方が多いですね。それから新しく入った方も多いと思いますけれども、それだから専門的な知識といってもなかなかたいへんですわね、正直な話。専門的な知識を得るためにどういうふうな勉強をされるのでしょうね。省によっては非常にやかましい省もあると思います。

稲葉誠一

1964-12-14 第47回国会 衆議院 本会議 第7号

さらに、内務省警察講習所に入って研さんを積み、卒業の後懇望されて内務省拓務省に約七年の間勤務されましたが、昭和十年、おりから台頭の著しかった軍部政治干渉に痛憤して退職されたのでありました。  ここにおいて、先生は、わが国の将来を憂慮し、国民大衆に幸福をもたらすためには、健全な議会政治確立こそ第一の急務であるとの信念に到達し、政界に入る決心をされたのであります。  

田口誠治

1964-04-28 第46回国会 衆議院 本会議 第27号

昭和七年五月、齋藤内閣成るや、永井拓務大臣のもとで、政務次官として二年有余にわたり拓務行政に参画して、その力量を発揮され、行政手腕においてもぬきんでた才能を披瀝されたのであります。  しかし、長年にわたるあなたの政治生活の中にあって特筆されるべきは、戦後の民主憲法のもとでの国権の最高機関たる本院の議長に在職されたことでありましょう。

矢尾喜三郎

1964-02-19 第46回国会 衆議院 大蔵委員会 第9号

ボリビア移民等の問題もありまして、こんなことではだめだ、政府が買ったところには、人はさっぱり行かないし、人の行くところには土地がない、こういうような問題がありますので、より広範な立場から検討しなければいかぬ、もっと合理的な投資をしなければいかぬ、こういうことでつくられたわけでありまして、いまあなたが言われるように輸銀と協力基金また事業団と同じようなことをやっているので、これを一つにしたほうがいい、昔拓務

田中角榮

1963-05-15 第43回国会 衆議院 外務委員会 第15号

非常に優秀な外交的手腕のある者は政務局関係に行くことはいいけれども、海外移住などは、戦前には、拓務省などができておって、特殊な技術者、それから語学のたんのう者現地経験者等で永年一定地に在勤さしたものなんです。まず外務省海外移住に対する熱意を考えるならば、従来のような、ただ欧亜局だとか中近東局と同じように考えてやるのと別にしなければならぬと思うのです。

田原春次